大島コーチの少年時代【長久手校】

2017年1月15日

こんにちは。大島です。

コーチは今でこそサッカー、フットサルに自信がありますが、初めからそうではありませんでした。

小さい時はおっとりマイペースで物静かでした。姉が二人いる影響でしょうか。

親がやっていた硬式テニスコートについていく幼稚園時代でした。左手が不器用でサーブのトスを何回も投げていた記憶があります。

かけっこは幼稚園の年長柿組で2番でした。向畑くんにいつも負けました。

サッカーとの出会いは小学4年生でしたが、背が高く運動能力がある理由(?)か私の意思を確認されられることなくゴールキーパーをさせられ興味を持ちきれなくて続かなっかったです。点取りたいですが顧問の先生に交渉する行動などできませんでした。

区のサッカー大会で優勝するような小学校でしたが具体的な指導はなく、顧問の先生が言っていた言葉は「逆サイドシュートしよう」でした。いえいえインステップシュートの蹴り方も知りませんから。古本屋で買った「サッカー入門」という文庫本は家にありましたが自ら文章を読む事は当時しもしませんでした。

 

 

中学生になり、サッカー部はなく友達に誘われ水泳部に。スイミングやっていたので泳げましたが、自分の目標もなく練習は楽しくもなかったです。100m自由形の計測を毎日しましたが最初から全力でバテるアホな子でした。今の自分だったら過去の自分にこうコーチングします。「人間は7秒しか無酸素運動できないから、70%の力でぺース配分するんだよ?」と。

こうやって具体的にデータをあげて助言をもらったら自分の身体的素材を活かせただろうにと思います。

1年生の体育でサッカーがありましたが2クラス合同の体育の時間で30人で一度に試合をするのにボール4個・キーパー2個というルールでした。楽しかったですね。キーパーが遠くを見ていないのでハーフラインからシュートを打っても入っちゃったり。でもまだキックは初心者のトーキックでした。

1993年に2年生になりJリーグが発足。クラスメートに公園でサッカーしようと誘われ小学校からの友達(彼らは小学時代サッカー部だった子)も誘って遊びました。初めは4人だったかな。私はACミランも知らない子だったですがそこで本来のフットボールと人生で初めて出会ったのです。

それから、他の友達にサッカーの入門書をもらって独学でキックを練習しました。時代を感じてしまいますがその本は「攻撃サッカー―技術と練習法 (Sports lesson series)」 単行本 – 1987/7釜本 邦茂  (著) です。激しく古いです!大島は今年で38歳。。。

この本でインステップ、インサイド、インフロント、アウトなどすべて覚えました。結果としてフェイントに使用したり、蹴り方を状況に合わせる事ができる下地となりました。

そして点取り屋になり、お山の大将になっていくのでした。

 

 

やがてチームを結成して隣の学校の友達チームと定期的に対戦しました。当時の映像が残っていますが、個人技しか考えていない自分のプレーです。そこからの成長の方法も自分で見つけていきました。

競技歴がない私が、コーチをやってこれたのは今になってみると理由がわかります。

1、「お山の大将」であった事。

2、教えてもらえなかった事。

1はレベルの問題でなく、立場の問題です。立場が人を作ります。ハイレベルなチームの補欠より弱小チームのリーダー格の方が人生に大きく左右するようです。

2は当時のプロサッカー選手の華麗なテクニックを真似をしようと練習していました。練習に「真似」という目的があり、主体性をもって創意工夫をしてきた事。大学に進学してからはストリートサッカーを15年ほど昔の仲間とやっていました。

これは学生時代に部活をしっかりやってきた人でも両方体験した人は少ないはずです。

経験を指導に生かせているので無駄はないのかもしれませんね。

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