下畝地 柊コーチ

下畝地 柊

SHU SHIMOSECHI

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名古屋オーシャンズフットサルスクール桑名校

プロフィール

ニックネーム お家で「しもちゃん」と呼んでいるスクール生の子がいることを最近教えてもらいました笑
生年月日 1995年12月生まれ
出身地 愛知県 清須市 (織田信長ゆかりの町です)
身長 170cm
血液型 A型
利き足 右足
好きな食べ物 パスタ🍝(学生時代はミシュラン掲載のイタリアレストランでアルバイトしてましたよ〜)
好きなアーティスト 気分を変えたい時に聞くのは「andymori」が多いです🎵
好きな色 白色⚪️️、ネイビー🔵
休日の過ごし方 サウナ目的の銭湯♨、食器や家具探し🥄️

パーソナルチャート

所属・経歴・ライセンス

【経歴】
・富山大学卒業に新卒入社
・2024年度:入社7年目

【これまでの担当校】
・2018年4月〜2018年8月末
→四日市校 (水曜日クラス)
・2018年4月〜2019年3月末
→北名古屋校
・2019年1月〜現在
→桑名校 (担当年数スクールNo.1)

【ライセンス】
・JFA公認サッカーC級指導者ライセンス
・JFA公認フットサルC級指導者ライセンス

担当会場

生徒・保護者へのコメント

COMMENT

\  U-12育成年代に特化したフットボール指導者 /
名古屋オーシャンズFS桑名校メインコーチ (6年目)
1995年生まれ、愛知県出身 (三重県在住)


「子供の自信を育て、チャレンジ出来る子に変える指導」が得意です。子供のことを愛している。けど、このままで強い子に育つのだろうか?チャレンジ精神はあるのかな?自己肯定感を育めているのかな?こんなことにお悩みの親御様にこそスクールを知っていただきたいと思い、日々活動しています。



私は中学3年生の夏まで全く勉強に興味がない生徒でした。オール3に一歩届かないくらいの成績と言えばいいでしょうか。ところがある日の理科の時間、イントロダクションでポケットモンスターを題材に始まった授業が私の中で「自分を成長させることに虜になる」きっかけとなりました。それまでは勉強をただの苦痛に感じていましたが、その授業を経て一気に勉強の世界の魅力に取り憑かれました。当時の先生には感謝してもしきれません。学年は160人ほどで常に90番台〜110番台であったテストの順位は中学3年生の夏休みに楽しみながら猛勉強に励んだ結果、一気に20番台まで上がりました。それまでの印象が悪すぎたのか、内申点はそれほど上がりませんでしたが、高校受験は当日8割5分以上の結果を出すことで何とか滑り込み合格しました。高校ではすでに勉強に面白さを見出していたので、360人ほどいた学年の中で最高は2位、2年生以降に理系クラスに進んだ後も180人中常に5位以内の成績でした。そして大学では興味のあった地球の成り立ちやフィールドワークの授業が盛んな富山大学の地球科という学科に進みました。4年次には海洋物理研究室に所属して、研究生活に明け暮れる日々でした。大学の時の友達は気象庁や県庁、薬剤師など進む中、私は小さな頃からの夢であった指導者になることを決意して、今に至るという感じです!

フットボールストーリー

STORY

私には選手としての “挫折経験” は一度もありません。なぜなら、高い目標を設定することもなければ、自ら努力して上手くなりたい!と思ったこともないからです。中学1年生からサッカーを部活で始め、偶然にも強豪校であったので厳しい練習を積む中で自然とスキルを吸収し、サッカーを見ることは好きだったので、その影響でフットボールIQ (コートの中で判断、決断すること) も向上して、試合には出ていましたが、特筆して目立つ選手ではなかったと思います。(地域選抜に行くか?と声をかけられましたが、上手い子たちが集まる中でプレーするのは大変そうだなと思って断っているくらいの意識でした。友達と一緒にやることに魅力を感じていました。) 高校もサッカー以外の部活に入る選択肢はありませんでしたが、青春をかけるほどの意気込みは全くなかったです。試合には中盤の選手として出ていて、県大会まで勝ち進んでも、愛知県の私立強豪校には5点差以上つけられて大敗するような感じでした。選手歴は中学1年生から高校3年生の4月にインターハイ予選で負けるまでの期間のみ。実質中学3年生では最後の夏の大会の8月頭ぐらいまでしかプレーしていないので、選手歴は5年に満たないほどだと思います。

 

 

ただ、指導者の存在にはなぜか小学生の頃から興味があり、小学校の卒業文集には「将来の夢はサッカー監督になること」と書きました。中学生の頃も海外サッカーを録画しては繰り返し見て、友達に今海外ではこの選手がアツいんだよ!みたいな感じで語ることの方に熱量がありました。高校の時はクラス対抗のスポーツ大会でクラスの中の男子チーム監督となり、サッカーをやっていない子達とも協力しながら、みんなのモチベーションを高め、フォーメーションも作って、全8クラスの中で優勝しました。あれが指導者としての初タイトルですね。大学生では地域少年団のボランティア指導者に応募して卒業までのおよそ3年半務めました。ここで転機があるのですが、指導者講習会と言って「指導者ライセンス」を取得する機会があったのですが、そこで衝撃の体験をしました。それまでは選手として上手くなることに興味もなかった私ですが、講師として来ていた方の指導内容が本当に素晴らしく。「えっ!上手くなるってめちゃくちゃ面白いやん!!」って遅かれながら気がついたんですよね。そんな時に自身の選手時代を振り返ると、サッカーというフィールドには立っていたのに、そんな面白さを知らずに選手生活を終わらせたなんてもったいなかったなと。じゃあ、どうするのか。それは上手くなる感動体験を知った私が指導スキルを高めて、次は子供達にただのサッカー体験では終わらせないための練習をするべきだと覚悟が決まったんですよね。選手としての経歴は何もなかったので、プロ指導者になることに対して当初は勇気が出なかったのですが、大学4年生の4月にしっかり自分を問いただして答えを出しました。その後の動きは電光石火ですぐに履歴書とアツい思いを込めた手紙を添え、求人のあったオーシャンズスクールに応募を。面接と指導試験を突破して入社が決まりました。ちなみに当時のオーシャンズスクールは中途採用しかなかったので、今思えばはちゃめちゃな行動ですが、それがまた良かったのかなとも思います。

保護者の声

VOICE

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