こんにちは〜。桑名校コーチの下畝地です!
「宿題が出来る」=「勉強が出来る」ってことなんでしょうか?
宿題が出来ること=勉強が出来ること?
宿題をきちっと出来ることと、勉強が出来ることって多分イコールではないですよね。宿題というのは基本的には自己管理能力の話で、勉強っていうのは解き明かすこと、切り開いていく能力のことだと考えています。
これと同様にサッカー/フットサルでも永遠の命題だと思うんですが、リフティングが出来ることと実際のプレーが上手いってことはイコールではありません。リフティングだけでなく、ドリル練習やボールタッチの練習も同様と思います。
僕は子供たちだけでなく大人の皆さん対象にフットサル教室もしているので経験があるんですが、フットボール未経験の方でもいきなり試合で活躍できる方はいます。その絶対的な条件が「観ている」ということです。
状況を感じる、観れているから動くことができる。フットボールの本質は相手との駆け引きにあって、自己満足のプレーが出来ればいいということではないんですよね。学校授業も宿題をきちっとできることが本質ではないはずです。
やっていることの裏側や意味をリンクさせる必要性
歴史の授業は基本「暗記勝負」だと思っている時がありました。けど、途中から流れがあって何かが起きると考えるようになって、なぜこうなった?って逆算して歴史を見るようになりました。今では子供達には現在から過去に遡って歴史教えればいいのにとさえ思います。
国語も算数も英語もどんな科目も、子供たちにとって身の回りのリアルな物事にリンクさせればもっと勉強楽しくなると思います。僕が学生時代に唯一授業内容を覚えている先生って毎回しっかり準備があって、興味を引かせるのも上手くて、何より勉強って必要なんだって思わせてくれました。
自分で突き進む子は放っておいてもいいんですよね。けど、大半の人は環境によって好きにも嫌いにもなる。スクールでも全員がサッカー/フットサル好きで通い始めるわけではありません。
それでも全国大会に出るまでになる子もいるし、楽しすぎて週3回きていた子もいます。やっぱり導くのは大人の役割。本当に子供にとって前進できる内容ってどういうことなの?これは本当に難しいことなんですが、これを考えさせてくれること自体が指導者冥利につきますよね〜
木を見て森を見ずは合っていると思う
一点だけでなく、僕は全体を見てあげたい。本当に大切なことを伝えてあげたい。
誤魔化すのではなく、真摯に向き合いたい。僕は社会に生きる大人として、その役割を担うものとして指導者をしていると自負しています。好きな気持ちはもちろんありますが、それ以上に仕事として指導者をしています。
もう毎日のように頭を考える日々です。どうすればもっと本当のことを子供達にとって楽しく分かりやく伝えられるのだろうか?フットボールの奥深さを分かってもらえるだろうかと…
小さなことに囚われすぎたくありません。全体を大きく見て本当に大切なことをパッと伝えられるテクニックをこれからも磨き続けたいです。