こんにちは!桑名校コーチの下畝地です!
カオスな中で判断することの面白さ
最近は愛知/三重県の保育園・幼稚園を飛び回っています。なぜかと言うと「フットサル出張教室」を開催しているためです。これは申し込みいただいた園に伺ってフットサルに触れる時間をいただくというもので、このような機会をいただけること自体すごく嬉しく思います。
基本的には普段の桑名レッスンと同じような内容で進めていて、「もっとこうしたら上手くいきそうだよね?」みたいなことにもがっつりアプローチしています (笑) 先生方にも「子供達が結構フットサルできていて驚きました!!」っお声をいただくことが多いです!
そしてこの出張教室中に最も盛り上がるのがシュート練習です。最初はゆっくり進んで目の前のゴールに決める。次は障害物に当たらないようにシュートを打つ。最後はGKの動きを見て当てないように考えてシュートを打つの流れです。
最後のGK役の自分達と駆け引きする子供達の目は本当に輝いています。もちろんGKがいないゴールにシュートを決めた時も喜んでいます。けど、これとは “喜びの質” が違うと気が付きました。自分の世界の中だけの単純なできた/できなかったではなく、カオスな環境、自分の意思で「判断」「決断」の要素がある中でのできた/できないはその子の中に与えるインパクトがかなり異なるのではないかなと考えました。
意思決定までのプロセスを沢山練習できる
「GKのいないゴールにシュートを決める」「GKのいるゴールにシュートを決める」
前者だと「見る→行動する」で、後者だと「見る→判断する(決断する)→行動する」分解するとこういう要素になるのかなと思います。”判断する” これが入るだけで子供たちの面白味は何倍も膨れ上がります。
よく、日本のサッカーはボールタッチは上手いが、いざ試合になると下手だと言われることがありますよね。それって多分この “判断” の重要性をまだ理解しきれていないからではないでしょうか。ボールを扱う競技なんですが、その前にチーム競技であり、そして仲間も相手もいる中で自分の振る舞いを決めなくてはならないスポーツをみんなはやっているんですね。
「自分はどうしたいのか?」この意思決定をするプロセスを何回もコートの中で練習できることって、絶対に実生活の中でも活きてきますよね。
自分で決めれないのは、自分で決めることをしてこなかったから
僕は団子サッカーのこと、別にいいじゃんって考えているタイプです。一生懸命ボールを追いかけようと思うこと自体が素晴らしいです。けど、ずっと団子サッカーでいいなんて思いません。もっと上手くやるにはどうすればいいかを考えてポジショニングをとって欲しいと思っています。
こういう時に「もっとパス回すために君はここにいろ、君はそこで待っていればいい」指導者がこういう声かけでは意味がないと思います (仮にその瞬間だけ綺麗なサッカーができたとしても) もっと本質的なアプローチは「君たちはこういう状態でボールを追いかけているよって伝えてあげて、その上でどうすればいいのかと問うこと」だと思います。
サッカー/フットサルを教えるということは、子供たちの主体性を磨くということです。コートの中で、自分一人でも決めれるように育てる必要があります。
スポーツを通して自分で決める練習をしっかりしていることは、みんなが大人になった時に大いに役立つと思います。人としてのリアルな成長との関わり合いの中にこそ、僕はスポーツ体験の素晴らしさを感じます。