こんにちは!桑名校コーチの下畝地です!
気になること。伝えたいこと。
先日、小学生がサッカーの試合をしている姿を見る機会がありました。もちろん知らない子がほとんどの環境だったのですが、そこで感じたことがありました。
それは「もっと楽しくやれると思うけどな…」ということ。
試合に臨む姿勢や雰囲気とかではなく、個人のプレーレベルとしてもっと上手くなれるんじゃない?もっと違うプレーの選択肢もあるって気付いてたかな?もっとみんなでボールを繋ぐ楽しさあると思うけどな…こういうことを見ていて思いました。
もちろんサッカー/フットサルに対して生まれながらに得意かも/不得意かもなという素質の問題は存在すると思います。僕はこれを否定することは出来ません。けど、素質の有無に関係なく上達は出来るし、もっと多くの楽しさに気づくこともできる。僕はまだ小さい世界のサッカー/フットサルしか知らない子に、まだ見ぬ世界を伝えていきたいんです。
せっかく始めたなら上達しようという考え方について
「せっかく始めたなら上達しよう」ではなくて、「せっかく始めたならいっぱい楽しもう」僕はこう考えています。
上手くなることが目的ではなく、楽しくやることが目的であって、その楽しいの中に上手くなるということも含まれるのではないかと。
上手くなることだけを追いかけると窮屈に育つし、ただ適当に一瞬の喜びだけに目を奪われると人間としての魅力につながらない。けど、楽しもうとする能力って人生においてもとても大切だと思うんです。現状維持ではなく、次は何をしたら楽しめるのかなって自己を振り返ること自体がアイデンティティを確立する中でも重要と思います。
サッカーをしていた子達も僕の目から見るともっと先のステージの楽しみを知れる子達だったと感じたんです。指導者がどんどん次の楽しみ方を提示していかないと、指導現場においての「我慢」の意味を履き違えてはいけないと再度肝に銘じました。
新しい世界があることを教えたい
「ピサーダ」フットサル界では当たり前の言葉ですが、サッカーでは使いません。
これは足裏を使って自分の背中側にボールをチョンと置いてくるスキルのことなんですが、これがテーマのレッスン時はサッカーをしている子達ほど盛り上がります。
この理由をきっと “知らないスキルを知れたから” だと考えています。知らないことを知れることで新しい世界が広がるし、何より「出来ないこと」にチャレンジして「出来る」に変わることが楽しいんですよね。僕自身が選手だった時も指導者に「今のはこういう考え方があったぞ」って言われた時はハッとして即成長に繋がるなって実感していました。
ただのスポーツ、ただの運動でもいいです。けど、”せっかく始めたらなら” もっと楽しみませんか?もっと上手くなれるし、もっと面白くなると思いますよ〜