こんにちは!桑名校コーチの下畝地です!
取り組ませるだけなら簡単なこと
自分のことを怖いコーチっていう子供はきっといないと思います。
基本的には怒らないし、どちらかというとまだ指導者の中では若いコーチというカテゴライズであることも影響していると思います。
そして「狂気にインスパイアされ、理性によって書かれたものだけが美しい。」この言葉の言わんとすることも理解できます。ある小説家の残した言葉ですが、本当に大事なことを感じて伝えたいときには、しっかり伝わる方法を作ってみせなさいってことですよね。
指導者も同じです。みんな子供を成長させたいから指導者をしているはず。けど、その表現方法は様々です。自分はしっかりスキルで戦いたい。”怖さ” を道具として使い無理にプレーをやらせるのではなく、感情でものを言って威圧感で支配するわけでもなく、知識をもって指導の現場に立ちたいと思っています。
気づく→やってみるが究極の体験だと思う
何かに気がついてやってみる、チャレンジしてみること。
フットサルのスキルは将来プロ選手にならない限り思いっきり役立つことはないですが、コートの中で学んだ上のようなことは生きている間ずっと使えます。
「あれ、こうしたらもっと上手くいくんじゃないかな?」「こうしたら良さそうだな」こういうことを思ったらやってみればいい。
このチャレンジが人としての成長につながるし、自分だったら絶対にこの瞬間を見逃さない。しっかり見つけて「今のチャレンジすごかったね!!」って子供を褒めまくりますね~
勇気を出せる空間になっている?
ところが気づいても勇気が出ない、一歩目を踏み出せないことがあります。
それが大人によって支配されている空間です。失敗したら指導者の方を思わず見てしまう現場は最悪で、それを超えるともう大人の言葉をシャットアウトするようになります。人間としての本能が大人の言葉を聞かないようにと誘導するんですね。
小学生のうちから選手を追い込んで、厳しく接して生まれるものって何でしょうか。それって知識で納得させることができない自身の指導スキルをごまかしているだけではないでしょうか。
指導者や保護者の皆さん、コートの中のことだけに注視するのは危険ですよ。少年サッカーの現場だけ大人の意味不明な態度が許されるんですか?やらせることなんて誰にでもできます。子供が自主的に取り組んでどんどん自分の殻を破ってゆく。せっかくやるならこんなフットボール環境を作ったほうがよくないですか?