こんにちは!桑名校コーチの下畝地です!
大人が比較するから子供も比較する
自分はその子の中でどれだけ勇気を出そうとしているのか、チャレンジを試みているのかという個人の内面の部分を見てあげたいなっていつも思っています。今までよりも少しだけ頑張ってみる、そんな姿勢が生きていく中で重要だと思うからです。
誰だれよりもあの子のほうがシュートが上手い、ドリブルが上手い。こんなことは誰が見ても分かります。
見えないものを見ることがプロの指導者の仕事というものです。
大人が比較するから子供も真似して比較するようになる。ただ、比較がやっかいなことは終わりがないこと。上には上が、、そんなの無限に続きますからね。比較するなんてつまらないことはやめて、その子が昨日よりも今日という今この瞬間を最大にチャレンジできるように大人が雰囲気作らなくてどうするんですか?
「うちの子には立派になってもらいたい」事件
前に関わりのあったチームでこんなことがありました。
選手のお母さんはプレーの相談を監督に話していく流れで「うちの子は立派になってもらいたい」ということを話しました。
そして監督は「立派ってどういうことですか?何と比べてどうだったらいいんですか?選手はいつだって頑張っていますよ」こういう言葉を返していました。
この「選手はいつだって頑張っている」という言葉は今でも自分の中に強く残っています。子供たちは一番近くにいて心を許せる存在であるお父さんお母さんに一言だけでも「頑張ってたね」って言ってもらえればそれで十分自身のことを誇りに思えるはずです。子供のことをまっすぐに見てあげることがやっぱり大切ですよね。
超えられる、これほど嬉しいことはない。
自分の感覚の外側にある表現を子供が見せてくれるとすごく嬉しい気持ちになります。
それはプレーでも言葉でもそうなんですが、指導者って自分を超える人間が育つことを素直に喜べないといけないと思うんです。選手を管理したいとかは一ミリも考えていなくて、主体的に力強く動ける人へとフットサルを通してなってくれたらいいなと。
大人に何かを求められている子はそれ以上の何かを達成することはきっとできません。それは自分で “楽しい” を見つけて突き進むトレーニングが子供の時にできなかったから。幼少期に培われた価値観は大人になった今だから感じますが、自身の身の振り方においてかなり強烈に影響を及ぼしているように思います。
生き方の正解なんて分かりませんが、子供たちが大人になった時に前向きに楽しく日々を送れるようになればいいなと心から願っています。求めすぎるのではなく、もう少し子供の力を信じてみてはどうでしょうか。