こんにちは!桑名校コーチの下畝地です!
パスを出すことに追われている
スクール生の子達の変化にはすぐに気がつくものです。特に、雨やお休みで2週間ぶりに会う子なんかだと、すっごく変わったな〜って思うこともあるくらいなんですよ。これは雰囲気や姿勢の点ですね。
そして、実際のプレーについて。これについて特に高学年の子たちはほとんどの子が地域のサッカーチームにも在籍していて、週末は試合を戦っているわけです。やはり、試合で得る経験値は大きく、週明けのレッスンではみんなグッと逞しくなっている表情になったと感じることが多いです。
ただ、その反対があることもまた事実。週明けで「あれ?どうしたんだろう、、」って感じるようなプレーに変わってしまう子も中にはいます。ちょうど先週にそんなことを感じる機会があって、前まではすごくイキイキとドリブルしてコートを縦横無尽に走り回る感じだったのに、先週のレッスンではボールを持ったらすぐパスすることに追われている感じでした。
あー、チームで仲間の子か指導者、もしくはお母さんお父さんと何かしらの話があったんだろうなとすぐに思いました。子供は信頼すると思っているよりも力を発揮するもの、ただ支配しようとするとその主体性はまるっきり姿を隠してしまうもの。チーム競技なので、いつかはその子だけの個性をチームの役割に調和させなければいけないのですが、これを達成するためのアプローチに間違うとプレーの喜びが失いかねないと感じた出来事でした。
強制された瞬間、感性が一つ消える
「やりなさい」と「やってみてもいいんじゃない?」この二つの言葉、受け取る側はかなり違う印象を受けるはずです。
やりなさいはもうやるしかない、これを言われて抗える子は、むしろ素晴らしいエネルギーの持ち主だと思います (笑) 大抵のパターンはやってみて終わりですよね。
対して、やってみてもいいんじゃない?は提案の意が強いと思います。そして受け取り側には「選択する」という一つの機会が生まれます。そしてこの機会こそスポーツの素晴らしさであり、人生の学びにも通ずることだと思うんです。人の意見を参考にすることはいい。けど、絶対に自分の選択を人に預けるようなことや生き方の主導権は渡してはいけないですよね。
ずっと強制を強いられると感性が一つ消滅するみたいなものです。試合でも本来できたことが、別のことに気をとらわれすぎてできなくなってしまいます。それにきっと楽しくなくなる。たとえ試合に勝ったとしても、そんな大人がアシストを重ねて生まれた偽りの結果で嬉しいのは大人だけ。健気に頑張っている子供のことを思うと本当に苦しいなと思います。
一方的に子供達のせいにするな
指導者はある種、無力と言えます。子供たちが何も学ぼうとしていなければ、こちらが仮に凄まじい方法論を持っていたとしても意味がないからです。
「今日の練習で何かを学んでほしい」「取り組み方がまだまだ悪い」「判断が悪すぎる」だからと言って、自分だったら子供達にこんなことは絶対に言いません。こんなこと言えるのはただ子供達のことを放置しているだけ、子供達だけに責任があり、一方的に悪いんだと指導者自身のことを守っているだけ。自分だったら絶対に何かを掴ませるんだという思いでレッスンします。出来なかったらプロの仕事が出来なかったと謝るだけです。
サッカー、フットサル知らなかった子達が初日からめちゃくちゃ張り切れたり、上手くできるってそんなのはごく稀なことですよ。そんな子供達を見て、少しでもやっている感を演出しようと強制したり、支配したりなんてもってのほか。もっと子供達のことを見て、少しでもやる気が出るようにモチベートしないとです。
子供たちは本来が可能性の塊です。そんな子達がキラキラできるのか、出来ないのかは指導者含めた環境に全てがかかっています。今上手くいっていないなら、思い切って環境を変えてみてはいかがでしょうか。