こんにちは〜。桑名校コーチの下畝地です!
現状維持バイアスについて
“現状維持バイアス” 端的に言うと、変化を恐れてしまい、人間の本能的に現状維持を望んでしまうことでしょうか。
何かを始めようとしてもなかなか一歩目が踏み出せない。頭ではやってみた方が面白そうとか、いい感じだなって思っていても動き出せない。
自からの命を守るために得た現状維持バイアスですが、時には障害となってしまうことがあるはずです。もちろん命を脅かすような体験なんてお勧めしませんが、チャレンジして小さな失敗をしていかないと心身の成長はないと思いませんか?やる前から言い訳をしてしまったり、逃げてしまう。別に本当にやりたくないことであれば構いません。けど、少しでも心動いたならやってみないとですよ。
僕も人間にはこうした機能が備わっているんだと知ってから、あえて違う行動をしてみたりするようになりました。何かやろうと決意して動かないと、変わらない。勝ち取りたいものあるなら、待っていてはダメで自分で掴みにいくしかないですよね〜。
スポーツの中に何を見出すのか。
スポーツは考えるに遊びですよね。たぶんずーっと昔からスポーツ的なものはあって、あの石どれくらい遠くまで飛ばせるか競争しようってこととか、どっちが早く川渡れる?とか。各地域でそんな競争?遊び?が誕生して、それが長い年月をかけて世界を繋いできたのだと思います。
それがある時、競技に取り組む人たちを見て心震えた人がいたのでしょう。その瞬間に仕事という側面が加わったのではないでしょうか。努力して人間離れした偉業を成し遂げる彼らを見ることでエネルギーをもらえるようになった。競技者たちは自らの記録を伸ばすこと=社会に貢献すること (仕事) の式が成り立つようになった。
そして今、別にスポーツが仕事として成り立っていることに違和感はないと思います。けど、子供達にスポーツを教えることが仕事になるって一体どういうことなんでしょうか。本質的な部分で競技スキルを伸ばすことだけが僕らの務めなのかということをずっと考え続けてきました。
いや、それは違うと。スポーツを伝えていく中で、絶対に人間性の成長にリンクさせる必要があると考えるようになりました。じゃあ、どうするのか。フットサルをする中でいっぱいチャレンジの機会を作る、少しだけ勇気を出して挑戦してみる瞬間を生み出す。その過程の中でみんなは自信を育んで「こんなこと僕にもできそう!」「あんなことやってみたいな!」って自身に可能性を見出せるようになってほしいなと。捉えようによってはスポーツはただの遊びです。けど、これだけ世界の人の心を掴んで離さないだけの理由があるはず。スポーツのどんな側面を価値として捉えるのか、どんどん見つけていきたいですよね。
向き不向きを語る前に
誰だって得意なことあるし、苦手なこともあります。けど、苦手だからやらない方がいいなんて、そんな寂しくなるアドバイスありますか?
子供がやりたがっているのに実はブレーキかけているのは大人の皆さんだったってことあるかもしれませんよ?子供達が変化を望むなら、皆さんもそれに応えてあげませんか?変化することこそ成長です。
才能のあるなし関係ありません。重要なのは現地点からどけだけの気持ちで取り組んで、何を成し遂げたのか自分で実感できるようになることだと思います。他の子との比較ではなく、絶対的にその子だけを見るんです。
時には失敗して落ち込むことあるかもしれないし、傷つくことだってあるでしょう。けど、それを経験していかないと大人になってから困るのではないでしょうか?子供の今だからこそ始めさせてあげませんか?