こんにちは〜。桑名校コーチの下畝地です!
自己中心的になっていないか?
僕たちや先生と呼ばれる職業は、誰かに何かを教えることを仕事にしています。
そのため、どこか自分が偉くなったように感じて横柄な態度を取りやすくなるのでは?と感じています。自分のやりたいスタイルに邁進できることが多いため、自分を好いてくれるくれる人だけが着いて来てくれたらいいと思いがち。
けど、それは違うと思います。僕らであれば大きくはスポーツ、詳細にはサッカーやフットサルに興味がない子達にもスポーツの素晴らしさを伝え切ることが醍醐味だと思うし、学校の先生ならば勉強に興味がない子を、いかに勉強好きにさせるかが仕事ではないでしょうか。
考え方が自己中心的になるといい仕事ができないような気がします。それに自分の中だけでグルグル考えを巡らせていると、心を病みがちになりませんか?個人は社会の共同体に繋がっていて、支え合って生きているという大前提に立ち返り、それぞれが仕事の役割を担い果たすべきだと個人的には思います。
欲がどこにあれ仕事の構造は変わらない
自分の仕事にファンができる、応援してくれる人が増える、買ってくれる人が増えるということはパワーが必要です。
けど、自分はズルや誤魔化すことをして売りたいなんて思いません。嘘のことを発信して、信じさせて、買わせることは身の保身しか考えていないし、仕事に対する姿勢として正しくないと思います。少しでも正しくあろうと思わないのならば、お金をいただく側としてナンセンスだと思います。
何か欲しいとか、夢のためとか、仕事に取り組む理由がなんであれ、仕事自体の構造は変わらないですよね。「誰かのために○○をして喜んでもらう」これが仕事ですよね。そこでの具体的な行為が社会に受け入れられたら売れるし、違うならば売れないという単純な構図だと思います。
自分もそうですね、指導者として “子供達のためにできると思っていること” が社会の求めていることと違ったり、絶対に受け入れられないと分かったら指導者をやることはキッパリと諦めます。
やりたかったことは芸術?
自分は仕事で成果をあげたいし、1人でも多くの子達にフットサルを通して感動体験を届けたいです。なぜなら、幼少期のその体験が絶対に大人になった時に強く生きるための指針になると信じているから。
やりたいことは自分の考えを単に爆発させた芸術ではなく、とにかく確実性のある仕事なんです。結局、仕事の形を取ることが多くの子達にとって公平でフェアな態度だと考えるようにもなりました。
どんなことにもきっと当たり前なんてないと思うんです。日常だって、築き上げた仕事だって、面白いと思っていた趣味だって。崩れる時は一瞬で、自分はその崩れる恐怖もこれまでの人生で感じる機会がありました。
だったら何をするのか。自分はみんながより良いと思える世界に変えていければいいなって思います。そのために指導者をいう役割を担って社会に少しでも貢献していきたいですね。