皆さんこんにちは!三重県桑名校担当の下畝地コーチです!
人生が夢みたいなものだから
身近な人だと、大学2年生の頃に祖父が旅立ちました。
大学生の頃は実家を離れ1人暮らしをしていたので、連絡を受けて急いで支度し帰省しました。
会では私の父親は静かに見守っていて、母親は泣いていました。
その時に人生には終わりがあること、生きることを終えると心と体も消えて無くなるんだと感じました。そして人生はあること自体が夢のような話で、だからこそ一生懸命生きなけれないけないと思いました。
「まぐれで出来た」の言葉に引っ掛かった話
この前のレッスン終わりでアシスタントスタッフが「シモセチさん、○○がまぐれでボールをハーフラインまで蹴ることが出来た」って言ってたんですけど、どう思いますか?って聞いてきました。
そのスタッフは “まぐれ” の表現が気になったらしく、その子に「なんでまぐれだと思うの?」って聞いたらしいんです。
そしたら見ていた人に「今のキックはまぐれだ」って言われたからと答えたそうです。
正直、私はこの話を聞いて悲しくなりました。まぐれだろうが、偶然だろうが、何だろうが、子供がチャレンジして一瞬でも未来への可能性が切り開いた時にはボディーランゲージを使って全力で愛情を表現したり、ポジティブな声をかけてあげることが大切だと思いませんか?桑名校のスクールでは大人がそうした反応を出すことを大事にしているので、なおさらそう思ったのかもしれませんが、どうでしょうか。
前進していく方が楽しいでしょ?
これまでスクールでは色々なイベントを企画してきました。フットサル以外では走り方教室や登山、書道コラボなどなど。
どれも始める前は成功するか失敗するか分かりませんでした。けど、イベントの内容を思い浮かべて、そのゴールに対してワクワクしながら企画を準備したことだけは外せません。
どうなるか分からないけど、それを達成できた方が楽しくなりそうだからやるんです。毎日を少しでも前進させて自分の力で歩いていくんです。
自分を過大にも過小にも評価する必要なんてないと思います。そもそも評価さえ不要な気もします。一人一人の子が大人になった時に強く生きていけるように。私はフットサルのレッスンを通して子供達に愛情を注ぎます。あること自体、ありがたいことです。もっと人生をポジティブに楽しむ姿勢で捉えたらいいのかなって時々思います。