こんにちは!桑名校コーチの下畝地です!
僕はカリスマコーチになりたくない
この前、小学1年生から3年生を対象としたレッスンで久しぶりにレッスンを中断して子供達に話をするということがありました。
「今ってみんなで楽しい時間になっている?違うことすることOK、喧嘩をしてもOK、けど、それするならこっちのコートではなくて反対のコートでやってほしい。自分でどうするか決めて、フットサルやりたい子だけで楽しもうよ」こんな声掛けをしたと思います。
「集中!!」「遊ばない!!」「しっかりやろう!!」一方的にこんな声をかけるのは簡単で、一瞬であれば効果高いような気もします。けど、それだと根本は何も変わらないとも思います。
練習やレッスンをやっている風にするのはすごく簡単で、コーチがコートの中で絶対的な存在として君臨していればいいだけなんですね。コーチの言うことが正解なんだぞって思わせればいい。この前、木村コーチもメンタルの理論ではカリスマコーチになるのは簡単で、”他者を否定すればいいだけ” だと言っていました。
きっと、そうすることで自分は他のコーチとは異なり、優れていると思わせることができるのではないでしょうか。ある種そんなコーチも苦しみの中にいる気がします。僕はそんな形ではなく、しっかりお互いにコミュニケーションを取りながら、レッスンを作る方が健全で、子供達にとっても建設的で、それこそ目指すべき姿だと今は考えています。
一歩目を永遠に待つこと
実際に体を動かして、やってみて、結果に現れること。こうなれば成長するし、自信にも繋がると思います。
そこから次の段階は主体的に頭を使って、創意工夫して、チャレンジするようになる。こんな風になったらもうコーチいらずですね。一人の選手として、自分で研究しながら突き進めると思います。
難しいのは、まずやりたがらない場合、そして主体的に取り組もうとはしない場合。こんな時にコーチの出番ですね。どうしたらやってみようと思わせられるのかな?どこに工夫することが楽しいってポイントを作ることができるのかな?こんなことを考える必要があります。
支配するのではなく、我慢しながら子供のことをよく観察して、今だっ!!という瞬間に一気に子供の心に刺激をたっぷり伝えていく。僕はこんなことをイメージしながらやっています。とにかく、焦らなくて大丈夫だと思います。お子さんの成長を楽しみながら待ってください。
考え続けることをやめないこと
葛藤って誰にでもありますよね。自分は小学校の卒業文集に将来の夢は「サッカーの監督」になることって書いて、大学を卒業してからその夢をほぼほぼ叶えたという状態なんですが、それでも毎日がただ楽しいなんてことはありません、これが事実ですね。
本当に良い指導って何なんだろうか?育成年代とプロの違いとは?なぜ、プロとしてお金をいただけるのか?究極は仕事って何だろうか?って、こんなことをたくさん考えてきました。
それに考え続けることを辞めることはダメだと思っていました。疑問に対して蓋をするのは、自分自身から逃げていることであり、偽りの答えに無理に満足しようとして、何となく知った気になることなのかなと。
表に見えるのは、やってきたことだけ。プロならばその見えている部分で評価されるべきと思いますが、子供は違う。目で見ることはできない、心の部分こそ注意深く観なければいけません。今の世の中、子供達に練習を強いることを求めすぎていませんか?上手くなることだけに執着しすぎていませんか?きっと子供達は疲弊しています。疲れていると、感じること、考えることを本能的にやめてしまう気がします。主体的になることの意味が分からなくなると思います。そんなことは絶対におかしいと思う。だからオーシャンズの桑名校では人としての成長の中にフットサルの存在を位置付けて、子供達をどう前に進めるのか、ここに主眼を置いて常にレッスンをしたいと思います。大人が満足するためだけのフットボールにならないように。