こんにちは〜。桑名校コーチの下畝地です!
怒る前に “背景の理解” この取り組みを
お子さんの行動や態度に「それは違う!」、そう感じた時にはすでに「こら!」と声が出てしまう。
こんな経験をみなさんお持ちではないでしょうか?
自分もレッスン中に真剣ではない取り組み方をしている子を見ると改善しなければと感じますが、声をかける前になるべく「背景を理解しよう」ということに努めています。
なぜそのような姿勢や態度なのか。最後の部分だけを見るのではなく、見えない部分を見ようとしないとその子の本質にはたどり着けない気がします。これには根気強さが必要になりますが、根本から改善するならこの方法しかないと思っています。
能力のことなのか、マナーのことなのか
ただ、怒る・注意するにも自分の中には基準があって、それは「能力のことなのか、マナーのことなのか」という点です。
練習であればボールを止めることが出来ない、パスを出さないという “能力の部分” に怒るなんてありません。そういう場合は違うアイデアのプレーがあるよってことを伝えます。
対して、他の子の練習の邪魔をする、こういう場合は注意します。それは社会は「共生」の側面があり、コミュニティから逸脱した生き方なんてないと考えているからです。みんなで楽しく生きていくために、それを上手く出来ていないなら、それこそ練習するしかないと思います。
能力の部分で困ることは将来その子が決意して努力すればいいい、けどマナーの部分で教えられなかった子は大人になってからもそれが価値観となって困ることになると思います。縁があり、フットサルで繋がった子たちに僕はそうなってほしくはありません。プレーが上手いからマナーに目を瞑ってもいい。こんなことありえません。トップ選手はみんな人間性も優れた人ばかりだと思います。
勉強を例に
勉強を例に、保護者の方の思いは「勉強はできた方がいい」だと思います。だから宿題を遠ざけていたりすると、「宿題やりなさい!」って感じの流れに。
対して、子供の気持ちを想像するに「勉強できなくても “今のところ” 困ったことがない」こんな感じだと思いませんか?勉強できないからって生きることが難しいってことには直結しないし、そもそも勉強がどう今後役に立つかも知らない。だから勉強のことで怒られたって大して響くこともありません。
それに勉強ってマナーではなく、能力の範囲だと思うんですよね。努力込みのスキルだと思います。心を入れ替えたからってすぐにできるようにはならない。怒られたら怒られた分だけ、「僕もできないんだ」っていうネガティブな感情を育てるだけだと思います。
怒る前に言う立場の人間はもう少し考えませんか?お子さんの何に対して怒っていますか?何かにチャレンジしてほしいなら、「アイデア」で勝負しませんか?