こんにちは!桑名校コーチの下畝地です!
存在を主張して、証明したいんだと思う
人間は誰でも居場所を探している、僕はそう思います。ここにいていいんだ!!そう思える “理由” をみんなずっと求めて続けている気がします。
ふざける行為なんてその典型的なパターンではないでしょうか。ふざけて怒られること、これって多分その子にとっては思い通りなんですよ。だって “怒られる” という行為を通して、自分の存在価値を見出せるから、構ってもらえることに安心できるから。
そして言語化すること、これほど難しいものはありません。僕も小さな時、親戚のおじさんとかに「学校楽しいか?」って聞かれて「楽しい。」って答えるけれど、本当はその楽しいという言葉の中に無限の意味を含ませていたと思います。
心の動きは見えなくて、かつ言葉で表現することも難しい。だから言葉ではなく、みんな人間の本能的に全力で自分の体を世の中にぶつけること、問いただすこと、その反応を見てみることで解決を試みていると思うんです。「ぼく、わたしの存在が見えているのか」ってことを。だから教えてあげないと、「みんなここにいていんだよ」ってことを。社会の中で大人が務める役割の一つが子供に自己肯定感を与えることではないでしょうか。
当たり前のことを見過ごしている
「ドリブルが上手くなりたい」「ゴールを決めれるようになりたい」「シュートを止めれるようになりたい」”と” 子供が言っているんです。
体験レッスンの際に保護者の皆様からよく伺う言葉です。けど、それって本当なのかな?そんなことを考えながら、僕は体験レッスンの際に子供のことをよく観察するようにしています。
上でもあげましたが、言語化するってめちゃくちゃ難しいと思います。お父さんお母さんに「どうなりたいの?」って聞かれたらどんな子だってありふれた表現を使って返事すると思いませんか?本当の気持ちをうまく説明できることは稀なことだと思います。
これは個人的な感覚ですが、子供達ってひたすらに楽しさを欲しているだけだと思います。安心できる環境、自己肯定感は持っている。だから次の段階の未知への挑戦に対する楽しさ、ワクワク感、喜びに欲求が生まれる。楽しいを十分に感じさせずに努力 (本格的な練習) を強いるからおかしくなる。間違った順番が成長を狂わせます。
無理はするもの、させなくていい
本当に何かを達成したいなら努力は必要だし、根性だって求められるし、最終的には体力がモノを言うような気もします。僕はまだ二十数年の人生ですが、こう感じています。
あくまでも無理は自発的に行うもので、強いられることではない。
ましてや子供たちにに見えている世界の狭いことをいいことに、あたかもこれが普通だと言わんばかりに色々訓練させたりすること。そんな大人都合の誤魔化し、僕は違うと思います。コントロールしなくていい、むしろ一人でも旅立てる強さを発揮させないとです。
難しいことではないと思います。支配ではなく、サポートを。レッスンの中でその子が前進できるようなアプローチをしたいですね〜